マッチョは踊らない

「自分が悪くなかった理由と可哀想な自分をアピールする」というオペラント行動は、「経営会議or他の同僚によって袋だたきにされる」という嫌悪刺激によって、弱化される。このため、そういう行動の自発頻度が減っていき、その人間は、結局、あらゆる不運と理不尽を自分で飲み込んで、なんとか辻褄を合わせなければならなくなり、それを続けているうちに、やがて押しつぶされて廃人になるか、全ての不運と理不尽を自力で切り抜けてマッチョになってしまう。

ははあ、ここに書いてあるようなガチムチの理不尽の嵐に見舞われてるわけじゃないけど、なんか今ちょうどこういう時期にきているのかもしらんとおもった。やばいつぶれr とか思ったけど(仕事中に)これ読んでちょっと踏ん張る元気がでてきました。

ただ、ここ日本じゃないのでどうなんだろ。
飲み込んでしまうか吐き出してしまうかということについて。こういういわゆる欧米社会でもおそらくこうしたマッチョ理論は通用すると思っていますが、彼らを見てるとわりとギャーギャー騒ぐ。それで乗り切ってるというか、回ってる感じ。彼らがマッチョかどうかは別として。欧米マッチョってどんな感じなんだ?
日本で美徳とされる(されていた?)忍耐とか奥ゆかしさ的なものは日本でこそ評価されるけど、こちらの社会ではしょうもない事でも「なぜ言わなかった?」となることもあったりするので、逆に「何でも言いなさい」なんて言われると子供扱いされてるんじゃね?って思うこともある。*1
いちいち反応してるとやることが増える。ので理不尽のひとつやふたつですぐさまホウレンソウ(笑)よりもまず自分の仕事の邪魔にならないように事態の沈静化を図るようにしていますが、相変わらず周りの環境はパワーゲームで動いているし、その元になってるのは何が正しいかとか間違いかではなく優越感だとか嫉妬だとか、そういうもっと生っぽい感情の交錯だったりするので、嫌な感じがしたら触れないようになんとかやっていると身動き取れなくなることもしばしばある。そういう火元をニコニコしながら迅速に*2マネジメントできればよいのかもしれないけど、それにいちいち触れていられるほど自分はタフというかまだまだ器用ではないので。

*1:ここで言われてる”飲み込む”ってのは古典的なジャパニーズ忍耐とは違うのだけれど

*2:感情はナマモノ