切り捨てられる情報と切り捨てる覚悟

http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20050614/p1#tb

ネットのおかげで

「手軽に情報が手に入るようになった」

などと言いますが、手軽な情報は手軽に手に入ります。しかしそれなりの情報を集めようと思えば、ひと手間どころですみません。流し読み・速読は情報の選別に役立つかもしれませんが、「流し読みできないテキスト・細かく分析すべき情報」についてはまったく対処できません。

こうした憂鬱はおそらく今でも殆どのユーザーに共通するものだろうなと。


それまで認識できていなかったものが視界に入ってきた。
多くのブックマーカーが感じている(であろう)めまぐるしさの原因というのはこの辺ではなかろうか。


そもそも膨大な情報ははじめから私たちの周りで常に代謝していて、それが一気に目の前を通過するようになっただけなのである。
さらにみんなが知ってることをわわわわと同時に口にし始めたものだから、ちょwwwww、ということになる。
それをフィルタリングするのがブクマのシステムなのかもしれないが、それでも例えば毎朝全てのホッテントリを本当に熟読することなんてできない。

つまり、限られた時間のなかで我々に求められるのは情報を切り捨てる覚悟。


個人的には、裾野を広げる作業がブクマ。こんな分野もあったのね、こういう視点もあるのかといったエキスポに似た感覚。
これは全て網羅しようなんて気でいると後がもたない。ぶらぶらと散策、つまりある程度のタイトル読みや斜め読みが要求されるが、ブログ界隈の全体像をぼんやりと眺めつつ手動のマッチングを行うことで、新たな興味やアイデアに繋がる内的ネットワークが構築される。
ただしタイトル読みの欠点は、当然のことながら”タイトルが全てになってしまう”ことである。


当然その中から興味を引くエリアも当然出てくる。特定のブロガーを覚えていて、ああまたこの人面白そうな事言ってるわ、みたいな事もある。そこで説明をふんふんと聞いてみたりその企業の名刺をいただいてきたりして取引に持っていく作業が発生する。この流れが記事の熟読であったりRSSでの購読だったりするわけで、より深いお付き合いができる。
こうした掘り下げと開拓のバランス感覚は個々人でも違ってくるし、このへんのスタンスの確立には少し時間もかかると思う。


ここで問題なのが、タイトル読みの欠点はタイトル自体の多様性にある、という点。

論文検索などでは、興味のある単語でもってまずフィルタリングする作業が入るが、そこから絞り込む過程はタイトルとアブストラクトの閲覧である。そのためタイトルは要約の要約である必要があり、それを見れば何について書かれているのかが分かるようになっている。
しかしブログは勝手が違う。最近では分かりやすくインパクトのあるタイトルも多々見かけるし、それが記事への興味をそそるのだが、かといって論文のような画一性を求めてしまうもナンセンスだろう。だってブログだもの。
ただ、こうしたタイトル読みをしている身として個人的に残念なのは、タイトルが興味を引かなかったがためにスルーしてしまっているであろう記事の存在である*1。ここで提唱したいのが、


[だからブログだってば]





     

*1:摂取できる情報量は限られているんだけど。